「言うことをきくいい子」ってなに?
近年、マスコミや知識人の間では、「言うことをきくいい子」の評判がよくありません。
カルト集団の幹部は教祖の「言うことをきく」人ばかり、そのうえ、幹部のなかには小さいときから先生や親の言うことをきく素直な子が多かったではないか、と。
けれど判断力を失って強いものの「言いなり」になるのと、きき分けがいいのとは違います。
また「いい子であることに疲れた」子が、途中から急に不登校になったり、非行に走る例もしばしば耳にします。
これは、心から親の言うことに従ったのではなく、心のなかでは違うと思いながら、無理をして「言うことをきく演技をしている」子どものケースです。
このように「言いなりになる」「言うことをきく演技をする」場合は、たしかによいケースとは言えません。
「言うことをきく」よいケースとは、それとは反対に、親が自分を愛していることを実感し、心から信頼して親の言うことに従うケースです。これは「言うことをきく演技をする」のとは、違います。
親の言うことが首尾一貫していて、よいことと悪いことの基準が子どもに伝われば、子どもは「言うことをきく子」から、さらに言われなくても何をなすべきか、自然にわかる子になるのです。
そこが、命令されて何かをやる「言いなり」になるのとの違いです。
四六時中子どもと一緒にいるお母さんは、心の底では、自分の言ったことを子どもが素直にきいてほしいと思っています。
それは当然のことなのです。
「ここでは静かに待っていてね」と病院の待合室で、「大きな声を出してはいけないよ」と公民館で、「お菓子は買わないから」とスーパーで、親が言ったとき、子どもが素直に言うことをきいてくれたら、子育てはどんなに楽になるでしょう。
ここでお母さんが言いきかせようとしていることのほとんどは、社会生活をするうえでのルールです。
つまり、「お母さんの言うことをきく子」は、「社会のルールを守れる子」とも言えるのではないでしょうか。
自然な形で「言うことをきく子」は社会的自立も早い!?
「和恵ちゃんはよい子すぎるんじゃないですか?」と若い保育士さん。
「えっ?」とお母さんのFさん。
「言うこともよくきくし、我慢強いし。この一年間、保育園で泣いたことのないのは和恵ちゃんだけなんです・・・ちょっと自分を抑えすぎるんじゃないでしょうか?」
「そうかしら?」と、Fさんは考え込んでしまいました。
「昔からうちでもめったに泣いたことがないし。お兄ちゃんとケンカしたときだけ、悔しくてたまに目にいっぱい涙をためているけれど、声をあげて泣くということはほとんどないわ・・・でも」と、Fさんは思いました。
家にいるときも保育園でも、和恵ちゃんの行動パターンは同じです。
Fさんは和恵ちゃんが外でどんな行動をとっているか、だいたい予測できました。
もし和恵ちゃんが無理してよい子のふりをしていたら、どこかでポロが出るはずです。
勉強したての若い保育士さんが、「言うことをきく子」は何だか不自然だとワンパターンで思っていても、お母さんにとっては、それが和恵ちゃんの自然な姿でした。
Fさんは、和恵ちゃんが五歳になったばかりの春、一人で一泊のキャンプへ参加させました。
そのとき同伴したよそのお母さんから、「和恵ちゃんは、川遊びしていても『ここから向こうへ行ってはだめよ。危ないから』と一回言っただけで言うことをきいてくれるし、すごくラクだったわ。
おまけにとても楽しそうにして」と言われました。
和恵ちゃんが「言うことをきく」子だったからこそ、五歳にもかかわらず、周りに迷惑をかけないだろうと、お母さんは安心して一人でキャンプに参加させたのです。
素直に「言うことをきける」ということは、社会のルールを守れる、つまり、社会的自立ができるということなのです。