小間使いお母さんと育てやすい子 2

「生きる力」をつみとる優しさ


 

子どもは本来好奇心の塊で、何にでも興味を持ち、やりたがるものですね。

しかし、気性が激しかったり、いつもイライラしているお母さんではなく、とことん優しくて思いやりのある性格のお母さんの場合、子どもはその優しさにどっぷり浸ってしまうのです。

 

この場合、気性が激しかったり、イライラしていたりする母親に子どもが感じる母親の反発がないだけに、子どもにとっての危険性はいっそう大きなものとなる、と言えるのです。

 

その子にとって余りに居心地のよい生活であるために、そのなかから抜け出られなくなるからです。

 

幼い頃からこうした生活のなかで育ってきた子どもは、当たり前のように母親を自分の手足のように使います。

 

成長してもやはり、それまでの経験から、母親は自分の代わりに何でもやってくれる都合のいい存在であることを疑いもしません。

母親の「優しさ」が裏目に出たこういう例は、男の子の場合、とくに目立つものです。

 

過保護に育った子どもたちが辿る未来

ぬくぬくと母親の懐に守られた、優しいけれどひ弱なタイプの子どもたち。

夫は仕事に忙しく、少子化のうえに家事は効率化されていくなかで、母親が子どもの世話にのめりこむ機会はそれだけ増えています。

しかも母親のほうは、子どもに「仕える」ことに何の矛盾も感じていないために、知らず知らずのうちに子どもの自立心の芽をつみとっていくのです。

 

こうした子どもが、世の荒波にさらされたとき、どうなるでしょうか・・・?

今年小学校に入学した紀子ちゃんが忘れ物をしたときのことです。

学校から帰ってくるなり、「きょう、お母さんのせいで先生に怒られちゃった」と、ふくれっ面です。

 

どうしたのかと聞いてみると、体育があったのに、お母さんがちゃんと体操着を用意してくれなかったから忘れたと言うのです。

 

お母さんがやってくれるのが当たり前になっている紀子ちゃんは、いつの間にか自分のミスも母親のせいだと勘違いするような子になっていたのでした。

 

「優しいお母さん」の「優しさ」が裏目に出るのは、子どもの思春期です。

ひ弱な子、我の強い子、と性格によってあらわれ方は違いますが、下級生をバットでなぐった高校生が、「母親に悲しい思いをさせるのは忍びない」と、お母さんを殺してしまったケースの裏に、どんな母子関係が潜んでいたのかと思うと胸が痛みます。

 

このお母さんも子どもの「言うことをきき」続けてきた結果、子どもに本当の意味の判断力を培うことができず、こらえ性がなく暴力に身を任す「言うことをきかない子」を育ててしまったのではないでしょうか。

 

目の前の楽しさに溺れて、子どもの「生きる力」の芽をつみとってしまわないように心がけたいものです。

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