子どもは母親の『もの』ではありません。
自分の手で作り上げた作品は、世界にたった一つしかないオリジナル品であり、自分だけの『もの』になりますが、自分で作りだしていても自分の思うようにならない『もの』が、この世にはあります。
思うようにならないというよりは、そうしてはいけない『もの」といったほうが正しいのかもしれません。
女性が自らの身体を使って産み出す子どもは、産んだ本人の『もの』に違いないのですが、いつでも自分の思い通りに扱っていい『もの』ではありません。
私たちの子どもというのは、感情と意志を持った成長する生き物なのですから。
これは単純明快な事実なのですが、このことを忘れてしまっている母親のなんと多いことでしょうか。
親しき仲に「礼儀なし」のお母さん
京子さんは夫と二人でレストランを経営しています。
レストランといっても都会風のしゃれた店ではなく、昔からある大衆向けの洋食屋さんといったイメージです。
人も雇って、ホール係と皿洗いをしてもらっていますが、調理場は夫と二人だけで切り盛りしていますから、昼時と夜の七時頃の忙しさは、言葉で言えないほどです。
いつも厨房で、もうもうと煙の立つなかに、フライパンを振るっている京子さんの姿があります。
京子さんは調理人として夫の大事な右腕であるだけでなく、二人の女の子のお母さんでもありました。
長女の翔子ちゃんは、勉強のできるしっかりした子なのですが、背が低く、太っている女の子でした。
実はこのことが京子さんには気に入らず、いつもイライラのタネになっているのでした。
翔子ちゃんを連れて買い物中、同級生の母子連れに出会ったりすると、「お宅の子はいいねえ、スマートでさ。うちの子ときたひにゃあ、この図体で。まったくやんなるよ」。
人前で母親にけなされて、翔子ちゃんも負けてはいません。
「何言ってんだよ。親に似たんだよ」。
娘に言われるまでもなく、京子さんは身長が150センチ足らずしかなく、しかもはちきれんばかりの胸と大きなお尻をしているので、ますます太って見えるのです。
でも京子さんは娘の言うことを無視して、さらに「お前はよう、少しはやせる努力をしろよ」と追い討ちをかけるのでした。
翔子ちゃんの仲良し三人組とその母親たちで昼食を取っていたときのことです。
「お前はもう食うな。そのくらいにしておけよ」と、食べている最中の翔子ちゃんに向かって京子さんが叫びました。
「お腹空いているもん、食うよ」と、気の強い翔子ちゃんは、いつものように母親に言い返します。
「まったく、ガツガツ食うと太るんだよ。お前は」と、京子さんはぶつぶつ言っています。
京子さんは、よほど翔子ちゃんに太った子になってもらいたくなかったのでしょう。
この京子さんの願望が、京子さんの容貌に対するコンプレックスからきているのは、誰の目にも明らかなことです。
京子さんは「スマートになりたい」という、かなわぬ夢をずっと持ち続けていて、せめて娘にはこの夢をかなえてほしかったのだと思います。
きっぷのよさが裏目に
娘に自分の言いたいことをポンポンと投げつける京子さんは、きっぷのいいアネゴ肌の人です。
客あしらいもうまく、常連客とは丁々発止でやりあっていて、はたにいる者をいつも笑わせています。
こうした京子さんの性格は客商売にはうってつけなのですが、母親としては子どもに言い過ぎになってしまう傾向にあります。
わが子に託す夢と自分の性格があいまって、子どもの欠点をあからさまに指摘するようになってしまいました。
「デブで困るよ~」「もうそれ以上食うな~」と母親から言われるときの翔子ちゃんが嬉しそうにしているはずがありません。
かといって消え入るように小さくなっているわけでもありません。
何ともいえない白けた表情で、母親に対抗するのですが、これができるのは翔子ちゃんがもともと勝気な性格の子だからであって、気の弱い子なら劣等感を抱えてしまうところです。
京子さんが言いたい放題の母親でも、翔子ちゃんの性格が幸いして、娘が一方的に傷つけられるということは避けられたのでした。
でも、翔子ちゃんは母親の前ではやせる努力をしているように振る舞いながら、陰に回って反対のことをする子になっていきました。
翔子ちゃんと友だちの二人で夏休みの宿題の写生をするために、車で十分ほどの自然植物園に出かけたときのことです。
運転の上手な京子さんが二人を送っていったのですが、車から下ろすときに「翔子、お前はスポーツドリンクを飲むんだぞ。」
「ジュースは飲むんじゃないよ。」と飲み物の指定をしたのです。
「うん」と翔子ちゃんは答えました。
写生に飽きて、喉が渇いた二人が自動販売機で飲み物を買おうとしたとき、一緒の友だちは当然翔子ちゃんがスポーツドリンクを買うものと思っていました。
でも翔子ちゃんが手にしたのは、お母さんに禁止されているジュースだったのです。
一時が万事で、翔子ちゃんは母親に隠れて自分の欲求を満足させるようになっていました。
その姿にはむしろ、「言われたことはしない」というはっきりした意志が潜んでいるように見えました。
思春期に「言うことをきかない子」になってしまう危機
翔子ちゃんは利発な子なので、京子さんは教育熱心な親でもありました。
小学校3年のときから大手の進学塾に通わせ、地元では指折りの私立の女子校に合格させました。
翔子ちゃんが中学生になって一年くらいたった頃でしょうか。
京子さんは思春期の翔子ちゃんの対応に苦慮するようになったのです。
部活で遅くなっているものとばかり思っていると、帰りの遅い翔子ちゃんは、実は盛り場を遊び歩いている、ということがわかりました。
しかも男の子とつきあっているらしいのです。
問いただそうとすると、「うるさい、ゴチャゴチャ言うな~」と言うなり、自分の部屋に逃げ込んで出てこようとしません。
この時期から翔子ちゃんの必死の抵抗が始まったのです。
お母さんとは必要以上には口をきかなくなり、京子さんが例によってまくしたてても、知らんぷりで聞く耳を持ちません。
わが子を「自分のもの」ととらえがちな母親は、自分の感情に任せて他人にはとても言えないようなことまでも平気で言ってのけます。
その言葉に傷つかない子どもはありません。
翔子ちゃんのように気の強い子には、悪影響が少ないように見えても、心のなかではどんどん親に対する反発がつのっているのです。
言いたい放題のお母さんはわが子の信頼を徐々に失っていて、その重要性に気づかされるのは、わが子が思春期になったときなのです。
たとえ自分の子であっても、何を言っても許されるというものではありません。
こういうお母さんは子どもに何か言う前に、「これと同じことを私は友人に言えるかな?」と、一瞬立ち止まって考えてほしいのです。
わが子の存在をを、ひとつの人格として尊重する子育ての大切さを痛感するエピソードです。