児童虐待をさせる社会を考える
小4女児が自宅浴室で死亡 虐待か 傷害容疑で父親逮捕千葉県野田市山崎のマンションから24日午後11時すぎ、「娘と風呂場でもみ合いになった」と110番通報があった。救急隊員らが、浴室で倒れていた小学4年の栗原心愛(みあ)さん(10)を発見し、死亡を確認した。県警は25日、心愛さんに暴行を加えたとして、父親で自称会社員の栗原勇一郎容疑者(41)を傷害容疑で逮捕し、発表した。県警は、心愛さんの遺体を司法解剖して死因を特定し、暴行との関連を調べる方針。栗原心愛さんが遺体で見つかったマンション=2019年1月25日午後2時44分、千葉県野田市山崎、武田遼撮影県警によると、栗原容疑者は24日午前10時ごろ~午後11時20分ごろの間、自宅で心愛さんの髪の毛を引っ張り、服のまま冷水をかけ、首付近を両手でわしづかみにするなどの暴行を加え、首付近に擦過傷を負わせた疑いがある。心愛さんに致命傷となる外傷はなかったが、体には古いあざのようなものが複数あったといい、県警は過去に虐待を受けていた可能性もあるとみて調べている。捜査関係者によると、栗原容疑者は心愛さんの行動に腹を立て、暴行した疑いがあるという。栗原容疑者は妻(31)、心愛さん、その妹(1)との4人暮らし。当日、心愛さんは学校を休み、家には4人ともいたという。引用 2019年1月25日18時57分 朝日新聞デジタル
更に、県警は1月28日の司法解剖でも死因がわからなかったとしていますが、胃の中には食べ物はほとんど残っておらず、十分な食事を取らせていなかった可能性がある一方で、肺に水がたまっていたということです。
父親から虐待を受ける中、薄れゆく意識の中で心愛さんは何を思ったのでしょうか・・・考えただけで息が詰まり涙が溢れます。
児童虐待のデータから見えてくるもの
児童相談所の現状 – 厚生労働省
平成29年2月1日
追いつかない行政対応の実態
※平成22年度は、東日本大震災の影響により、福島県を除いて集計した数値
要保護児童発見者の通告義務
児童福祉法第25条(要保護児童発見者の通告義務)
要保護児童を発見した者は、これを市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所又は児童委員を介して市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所に通告しなければならない(抜粋)。
児童虐待の防止等に関する法律第6条(児童虐待に係る通告)
平成16年の改正で「虐待を受けた児童」から「児童虐待を受けたと思われる児童」に改められました。
1 児童虐待を受けたと思われる児童を発見した者は、速やかに、これを市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所又は児童委員を介して市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所に通告しなければならない。
2 前項の規定による通告は、児童福祉法第25条の規定による通告とみなして、同法の規定を適用する。
3 刑法の秘密漏示罪の規定その他の守秘義務に関する法律の規定は、第1項の規定による通告をする義務の尊守を妨げるものと解釈してはならない。
さらに、児童虐待を発見しやすい立場にある人や団体には、より積極的な児童虐待の早期発見及び通告が義務付けられています。
早期発見の義務(児童虐待の防止等に関する法律:第5条)
1 学校、児童福祉施設、病院その他児童の福祉に業務上関係のある団体及び学校の教職員、児童福祉施設の職員、医師、保健師、弁護士その他児童の福祉に職務上関係のある者は、児童虐待を発見しやすい立場にあることを自覚し、児童虐待の早期発見に努めなければならない。
2 前項に規定する者は、児童虐待の予防その他の児童虐待の防止並びに児童虐待を受けた児童の保護及び自立の支援に関する国及び地方公共団体の施策に協力するように努めなければならない。
3 学校及び児童福祉施設は、児童及び保護者に対して、児童虐待の防止のための教育又は啓発に努めなければならない。
近代日本は欺隠の繰り返しで発展してきました
欺隠(きいん)という言葉はなじみの薄い言葉です。
意味は、都合が悪いことを欺き隠すことを意味します。
東日本大震災から8年が過ぎようとしています。
思い返せば8年前、絆の大合唱でした。
日本よがんばれ!東北へ行こう!・・・雲散霧消、まるで蜃気楼のように無くなりました。
いま私たちが経済誌を読むと、株価の乱高下と円がどれだけ上がったか下がったかで、大騒ぎをしています。
あの「絆」は何処に行ったのでしょう。
私が被災地へ初めて行ったのは、震災から2年半たった夏のことでした。
異口同音に聞いたのは、「忘れないで下さい」という言葉でした。
しかしその中で聞いた、ある老人の言葉「所詮、我々は忘れられていく・・・」我々は捨てられていくということを見事に言い当てた人もいました。
考えてみれば、日本の近代現代は、多くの国々がそうである以上に、欺隠によって成り立って来ました。
九州では、石炭へと、石炭から石油へとエネルギーの大転換が行われるときに、そこで職を失った人は、遠くは東ドイツにまで石炭労働者として労働力を排出されて行きました。
水俣でも同じようなことが起きました。
いろいろなところで「欺隠」というものが少数者に犠牲を強いてきました。
そして子どもたちが、最大の犠牲者にされてきました。
そういう現実が連綿としてありましたし、3月11日もまた、悲しいかなそういう歴史を繰り返しています。
先に述べた内容に戻りますが、本来ならば親からの豊かな愛情を受けることによって、無限の可能性ある未来に手にしている、数多くの幼い子どもたちが、児童虐待を受け未来を閉ざされています。
あまりにも深刻な現実が具体的な数値として顕在化しているにもかかわらず、行政はこの問題に対する対応を、今なお十分な体制で取り組む姿勢を示していないことは、資料を見て明らかであります。
虐待を受けている幼子もまた、日本の歴史の中で欺隠(きいん)され、見捨てられていくのでしょうか。
栗原心愛さんの死は、私に、日本社会における暗く陰鬱な側面を感じさせる事件でありました。
今後も報道を注視して参ります。