児童虐待をさせる社会を考える

1月の末に、また、児童虐待の痛ましい事件が起きました。
日ごろ耳にする事件の中でも、この児童虐待だけは震えが出るような怒りを覚えます。
 
本日は2019年2月14日ですから、1月24日発生のこの事件について、既にかなりの取り調べ内容が報道されています。
 
この事件を通して、我が国の病める社会的側面を考えてみました。

 
先ず、1月24日の報道記事をご覧ください。
 
小4女児が自宅浴室で死亡 虐待か 傷害容疑で父親逮捕
 
千葉県野田市山崎のマンションから24日午後11時すぎ、「娘と風呂場でもみ合いになった」と110番通報があった。救急隊員らが、浴室で倒れていた小学4年の栗原心愛(みあ)さん(10)を発見し、死亡を確認した。県警は25日、心愛さんに暴行を加えたとして、父親で自称会社員の栗原勇一郎容疑者(41)を傷害容疑で逮捕し、発表した。
 
 県警は、心愛さんの遺体を司法解剖して死因を特定し、暴行との関連を調べる方針。
 
 
栗原心愛さんが遺体で見つかったマンション=2019年1月25日午後2時44分、千葉県野田市山崎、武田遼撮影
 
県警によると、栗原容疑者は24日午前10時ごろ~午後11時20分ごろの間、自宅で心愛さんの髪の毛を引っ張り、服のまま冷水をかけ、首付近を両手でわしづかみにするなどの暴行を加え、首付近に擦過傷を負わせた疑いがある。心愛さんに致命傷となる外傷はなかったが、体には古いあざのようなものが複数あったといい、県警は過去に虐待を受けていた可能性もあるとみて調べている。
 
 捜査関係者によると、栗原容疑者は心愛さんの行動に腹を立て、暴行した疑いがあるという。
 
 栗原容疑者は妻(31)、心愛さん、その妹(1)との4人暮らし。当日、心愛さんは学校を休み、家には4人ともいたという。
 
引用 2019年1月25日18時57分 朝日新聞デジタル
その後の報道では、父親が栗原心愛さんにシャワーの冷水をかけ続けたり、首をわしづかみにしたなどとして、傷害容疑で栗原勇一郎容疑者を逮捕しましたが、司法解剖で死因は分からなかったようです。
 
彼女の身体には、今までに暴行を受けた傷跡が数多くあったということで、毎日DVの恐怖に怯えながら生活をしていたことが明らかです。

更に、県警は1月28日の司法解剖でも死因がわからなかったとしていますが、胃の中には食べ物はほとんど残っておらず、十分な食事を取らせていなかった可能性がある一方で、肺に水がたまっていたということです。

 
その状況を見ながら、母親はただ傍観しているだけという、これも憤りを禁じ得ないことです。

父親から虐待を受ける中、薄れゆく意識の中で心愛さんは何を思ったのでしょうか・・・考えただけで息が詰まり涙が溢れます。

 
 
 

児童虐待のデータから見えてくるもの

今回、児童虐待について調べると、近年、虐待件数は、とんでもない数字になっていることがわかりました。

まずこの資料を見てください。
 

児童相談所の現状 – 厚生労働省

平成29年2月1日

児童虐待通告数の推移
児童虐待通告、過去最多=昨年(2018年)8万人、「心理的」7割-警視庁
 
どういうわけか最近の様々なデーターで、児童虐待というものの件数が異常なまでに増えてきています。

これは潜在的にあったものが、最近になって実数として外に現れてきたのか。

あるいは実際に実数がふえてきているのかどうか。
 
私がこの小サイトでお伝えしているのは、子どもの心理を、どのように大人たちが観察し、その内側の変化を読み取り、子どもに対してどうケアーをするのかということに焦点を置いてお話ししています。
 
勿論それは重要なことですが、しかし私は、子どもというものは、基本的に子どもを囲む大人たちが、希望に満ち、愛に満ち、そして信仰に満ち、そして朗らかに笑いがあれば、そのまま放っておいても必ずやすくすくと育ってくれる存在だと思っています。
 
この児童虐待の例が我々に示している通り、じつは、本当の意味で向かい合うべきは、大人の心だと思います。
 
大人の荒んだ心が、実は子どもたちに向かって行っているのだということが、この児童虐待の件数の急増によって裏付けられているのだと思います。
 
政治学の用語の中に「抑圧移譲」という言葉があります。
 
上にある人間が、その下にある人間に様々な抑圧、つまり自分にかかる負荷(重荷)をかぶせ、そして次の人はもっと下に、それがどんどん下へ下へと抑圧を移譲させることによって、自分の心の平安を保つといくことです。
 
むしゃくしゃした時には自分より弱い人々に牙を剥く。
 
やがてそれが、どんどん下へ下へとむかい、最後のところに、私は子どもがいるのではないかと思います。

 
 
現実的に生活保護世帯、或は雇用がままならない人々の現状は大変苦しいものです。
 
更に、今の日本で働く労働者の低い賃金体系や様々な冷遇された条件、更には政府の公的支援が細っていく中、人々が生きていくうえで、生活や暮らしや福祉というものが前の時代と比べると、はるかに困難な状況にあるということは察しが付くことです。
 
こういう中で人々の家計や暮らしも以前のような状況では無くなってきました。
 
東京では株価が1円上がった、円が1円下がった上がったかで大騒ぎをしています。
 
しかしながら、私たちには何一つ関係がありません。
 
私は20年以上にわたってタクシーに乗ったときに、生活が豊かになったという運転手さんは一人もいらっしゃいません。
 
この20年間一般の人の生活は、低い水準で停滞しているというのが実情にあります。
 
そのことは、私が経験した職業、つまり高校の現場や現在勤務する保育園の現場で見聞きする、保護者の家庭の事情や、子どもたちの実態からよく伺えることです。
 
一言でいえば自己責任のもとに、全てを自分たちでやりくりしなければいけない時代に、私たちは生きているわけです。
 
そして公的なものに頼ることができない、尚且つ社会に対してコンプライアンス(法令・社会規範・倫理を遵守することがこれまで以上に重視されること)というものが常に要請される。
 
事務量は凄まじい勢いで増大し、処理する内容も変化し続けて対応に苦慮する実態があり、しかしマンパワー(労働力に投入する人的資源)は圧倒的に足らない。
 
その中で、給料も場合によっては現状維持を強いられ、外側からの様々なニーズに応えていかなくてはならないし、労働時間も前よりは増えていく。
 
このような現象が、どの社会、どの組織にも見られているわけで、労働者は慢性的な疲労感を感じながら、不条理な思いを抱き続けています。
 
 
 

追いつかない行政対応の実態

 
資料Ⅰ 児童虐待相談対応件数の推移
 

※平成22年度は、東日本大震災の影響により、福島県を除いて集計した数値
【出典:福祉行政報告例】
 
 
資料Ⅱ 児童相談所と児童福祉司数の推移
 
 
【厚生労働省雇用均等・児童家庭局総務課調べ】
 
資料ⅠとⅡの数値を見ると、児童虐待に対する行政対応が後手に回っていることが伺えます。
 
平成11年度から28年度までデータですが、その間の相談件数は凡そ9倍(8.9倍)に激増していることがわかります。
 
ところが、対応する専門職である相談員の数は、この間に僅かに2.5倍の伸びに止まっています。
 
 
今回の事件の背景には、社会福祉士の不足からくる、業務全般における相談員のゆとりのなさが背景にあったのではないでしょうか。
 
更には、父親が「名誉棄損」を持ち出して抗議した姿に対して、児童相談所の職員が、鷹揚な対応が取れなかったことにも繋がっていたのではないかと推測されます。
 
また、相談員が全体的に低年齢化しているとの見方も考えらっれ、職員の「経験不足」からくる対応能力の限界も感じる事件です。
 

 

要保護児童発見者の通告義務

 
資料Ⅲ 児童虐待による死亡事件
 
 
 
 
 
 児童虐待の通告は全ての国民に課せられた義務です!
 
とはいえ「通告したことを保護者に知られると、保護者との関係が険悪になる」、「どの家庭でも時にはあることだ」等、通告を立ち止まらせる思いや考えが頭の中をよぎることがしばしばあるでしょう。
 
しかし、児童虐待防止法のねらいは、「虐待の早期発見」なのです。
 
早期に児童や保護者のケアを行えば、深刻な虐待事件から子どもを救うことができるのです。
 
虐待かどうかを判断するのは、あくまでも通告した方ではなく、通告を受けた方です。
 
ですから、児童福祉法第25条の規定に基づき、児童虐待を受けたと思われる児童を発見した場合、全ての国民に通告する義務が定められています。
 
 

児童福祉法第25条(要保護児童発見者の通告義務)

要保護児童を発見した者は、これを市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所又は児童委員を介して市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所に通告しなければならない(抜粋)。

児童虐待の防止等に関する法律第6条(児童虐待に係る通告)

平成16年の改正で「虐待を受けた児童」から「児童虐待を受けたと思われる児童」に改められました。

1 児童虐待を受けたと思われる児童を発見した者は、速やかに、これを市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所又は児童委員を介して市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所に通告しなければならない。

2 前項の規定による通告は、児童福祉法第25条の規定による通告とみなして、同法の規定を適用する。

3 刑法の秘密漏示罪の規定その他の守秘義務に関する法律の規定は、第1項の規定による通告をする義務の尊守を妨げるものと解釈してはならない。

さらに、児童虐待を発見しやすい立場にある人や団体には、より積極的な児童虐待の早期発見及び通告が義務付けられています。

早期発見の義務(児童虐待の防止等に関する法律:第5条)

1 学校、児童福祉施設、病院その他児童の福祉に業務上関係のある団体及び学校の教職員、児童福祉施設の職員、医師、保健師、弁護士その他児童の福祉に職務上関係のある者は、児童虐待を発見しやすい立場にあることを自覚し、児童虐待の早期発見に努めなければならない。

2 前項に規定する者は、児童虐待の予防その他の児童虐待の防止並びに児童虐待を受けた児童の保護及び自立の支援に関する国及び地方公共団体の施策に協力するように努めなければならない。

3 学校及び児童福祉施設は、児童及び保護者に対して、児童虐待の防止のための教育又は啓発に努めなければならない。

 

近代日本は欺隠の繰り返しで発展してきました

欺隠(きいん)という言葉はなじみの薄い言葉です。

意味は、都合が悪いことを欺き隠すことを意味します。

東日本大震災から8年が過ぎようとしています。

思い返せば8年前、絆の大合唱でした。

日本よがんばれ!東北へ行こう!・・・雲散霧消、まるで蜃気楼のように無くなりました。

いま私たちが経済誌を読むと、株価の乱高下と円がどれだけ上がったか下がったかで、大騒ぎをしています。

あの「絆」は何処に行ったのでしょう。

私が被災地へ初めて行ったのは、震災から2年半たった夏のことでした。

異口同音に聞いたのは、「忘れないで下さい」という言葉でした。

しかしその中で聞いた、ある老人の言葉「所詮、我々は忘れられていく・・・」我々は捨てられていくということを見事に言い当てた人もいました。

考えてみれば、日本の近代現代は、多くの国々がそうである以上に、欺隠によって成り立って来ました。

九州では、石炭へと、石炭から石油へとエネルギーの大転換が行われるときに、そこで職を失った人は、遠くは東ドイツにまで石炭労働者として労働力を排出されて行きました。

水俣でも同じようなことが起きました。

いろいろなところで「欺隠」というものが少数者に犠牲を強いてきました。

そして子どもたちが、最大の犠牲者にされてきました。

そういう現実が連綿としてありましたし、3月11日もまた、悲しいかなそういう歴史を繰り返しています。

先に述べた内容に戻りますが、本来ならば親からの豊かな愛情を受けることによって、無限の可能性ある未来に手にしている、数多くの幼い子どもたちが、児童虐待を受け未来を閉ざされています。

あまりにも深刻な現実が具体的な数値として顕在化しているにもかかわらず、行政はこの問題に対する対応を、今なお十分な体制で取り組む姿勢を示していないことは、資料を見て明らかであります。

虐待を受けている幼子もまた、日本の歴史の中で欺隠(きいん)され、見捨てられていくのでしょうか。

栗原心愛さんの死は、私に、日本社会における暗く陰鬱な側面を感じさせる事件でありました。

今後も報道を注視して参ります。