子どもを理解する

子どもの「自我」を鍛えず、ふやけた人間をつくる一方、不思議なことに日本人は子どもの心を理解せず、大人の気持ちを押しつけることが多いのです。

あまりに密着した親子関係のなかで、適当な「間(ま)」が取れないからだと思います。

子どもはいつも親たちを見つめています。

親は子どもに愛されると同時に、信頼され、「言うことをきかれ」なければなりません。

しかし、子どもの権利を尊重するつもりで「
言いなり育児」にころがり込むことがよく見受けられます。

子どもを「自分のもの」と思うあまりに、相手の気持ちも考えず、したい放題に子どもを扱う

日本人の子育ては、このどちらかに偏っているような気がします。

これでは子どもが本当に気持ちよく「言うことをきく」はずはありません。

そのためには、どんな形で子どもに向き合ったらよいのか、そのことを学ぶ必要があると思います。

 

「まだ小さい」と思ってはいないか、まだ「しつけられない」と思っていないか

一歳五ヵ月の淳司君は、おばあちゃんの家に遊びに来ています。

玄関先にある玉砂利を、珍しそうに触っては喜んでいます。

しばらくすると、玉砂利をつかんでヨチヨチ歩き出し、庭に撒き始めました。

おばあちゃんは、「まだ小さいから、わからなくってねえ・・・」と道を通る人に言いながら、散らかった玉砂利を拾っているのです。

好子ちゃんは十ヵ月になりました。

お座りをしながら、いろんなものを手にとって遊ぶのが大好きです。

特にティッシュの箱はお気に入り。

一枚つまんで取り出してはニコニコ顔。

お母さんは「あっ!ダメダメー」と言ってはみたものの、久子ちゃんの嬉しそうな笑顔につられてニンマリ。

「ダメ」と言いながら止めることができません。

幼児のいたずらも親の目から見ると、こんなことまでできるようになったと、微笑ましく映ることばかりですね。

幼い子のあどけない表情は純粋で、いけないことをしていて、しかもつい平気で許してしまったり、叱るのはかわいそうと、しつけをすべきところで見逃してしまいがちです。

四歳の聡君は、喉が腫れて微熱があります。

お母さんと病院に来たのですが、カゼの季節とあって病院はとても混んでいます。

長い間待たされ、やっと悟君の名前が呼ばれました。

聡君が丸イスに腰掛けると、先生が「どうしました?」と尋ねます。

お母さんが症状を説明している間、悟君は足をつま先立ちにして、イスをグルグル回転させています。

お母さんが「悟君!やめなさい!」と注意するのですが、一向にやめません。

みかねた先生が腕で制止して、やっと止まりました。

お母さんは「まったく、ちっとも言うことをきかなくて・・・」と弁解すると、「この年齢の子はみんなそうですよ、今おとなしいとあとが怖いですよ」と先生は言いました。

聡君が言うことをきかないと、周囲の人はよくそう言うのですが、その言葉には慰めが半分混じっていて、問題は複雑なのです。

二~三歳は自我が出てくる時期です、ガミガミ叱って抑えつけないほうがよい、子どもの個性を尊重してのびのび育てなさい。

こんなことをよく耳にするのですが、「まだ小さい」「大きくなればわかる」と理由をつけて、しつけを先延ばしにしているうちに、子どもがだんだん手に負えなくなっていきます。

小さいという理由だけで、何をしても許され、なんでも自分の思い通りにしてきた子どもは、してもいいこと、悪いことの区別を知らずに育ちます。

そうやって甘やかされてきた子どもの問題が表面化する頃には、駄々っ子の芽はすっかり伸びて、「言うことをきかない子」になってしまうのです。