子どもを一個の人格として扱うこと

子どもを人として扱うということ

現代の子育てを難しくしている条件のひとつに、私たち親が刷り込まれている「子どもの権利」についての混乱した考え方があります。

「子どもは大人と同じように、人間として尊重される権利がある」ということは本当です。

ところがこの言菓の意味を取り違えると、しつけが混乱してきます。

子どもを「人間として扱うということは、子どもに大人と同じ生活を許すこととか、何かを決定するときに、大人がイニシアティブを取らずに、もっぱら子どもの言いなりになるということではありません。

「子どもは子ども」「大人は大人」

大人が夜、11時までテレビを見ているから、2歳の子どもも見ていいのだ、と思う親はそれほどいないと思いますが、「パパばっかりずるいー、いつまでも起きていたい~」と言われて、「子どもは寝る時間、ババの歳になったら起きていていいの」とビクともせずに子どもを寝かすことのできる親がどれほどいるでしょうか。

実際、年々子どもの夜更かしは増え、11時まで起きている幼児などは珍しくありません。

小学生の子どもに個室を与え、鍵をかけて子どもが親を締め出すのを、「子どもの権利」と取り違えている親も大勢います。

 

子育ては個育て


子どもは大人になるまでは、親の監督下に生活すべき存在です。

衣食住の肝心な部分は親がイニシアティブを取り、そのなかで、子どもにもある程度の裁量権を認めるのが上手な子育てです。

何から何まで規制ばかりするのはよくありませんが、子どもの言いなりになるのが民主的であり、子どもの「権利」を認めることだと勘違いすると大変なことになります。

欧米の親は子どもの幼児期にはしつけは厳しく、成長するに従って、自由度の伜を広げ、高校生になったら大幅に自由を認めています。

実際、その年齢になったら、親がどんなに強制しようとしても、子どもは肉体的にもう一人前の存在、親の言うことを聞いているほうがおかしいのです。

ですから逆に言うと、親はわが子が高校生になるまでに、自立した人間として独り立ちできる力をつけてやらねばならないのです。

しかし日本ではどうでしょう。

幼い子どもには大幅な自由を認め、成長するに従って規制を強めていくのではないでしょうか。

それというのも幼児期の甘やかしのおかげで、いくつになっても「生きる力」のつかない子どもたちを、親たちがかばいたい一心だからです。

日本の親たちように、子どもを大切にする大人はありません。

しかし「豊かな社会」のなかでは、子どもを保護するより、子どもを鍛える子育てがはるかに大切にな

ってきます。

現に大人にはなりたくない。いつまでも子どものままでいたい」と考える子どもたちが増えているのです。

そしてその子どもたちが親を尊敬しているかというと、そのことについては「想像したくない」と思うのは私だけでしょうか。

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