ところ構わずやりたい放題に振る舞う

 

デパートの子ども服売り場を駆け抜けていく男の子がいます。

お父さんが追いかけて、そのあとをお母さんの声も追いかけます。

でも、剛君は振り返りもしないし止まりもしません。

 

おとなしい友だち親子の姿を見かけて立ち止まり、「いいねえ、さっちゃんは手をつないでくれて。剛はベビーカーに乗せてないと、どこへ行くかわからないんだから」と剛君のお母さんは漏らしました。

立ち話をしたかったのですが、剛君のお父さんも連れ立っていたので、母親同士ゆっくり話せるだろうという望みは、儚く消えました。

 

剛君は、子どもの遊び場で遊び始めたと思った間もなく、剛君ははだし裸足のまま、隣のおもちゃ売り場のなかに消えてしまいました。

またもやお父さんが捜しに行きます。

遊び場へ連れ戻しても、剛君はまたすぐにどこかへ・・・。

お父さんがいてくれなければ、剛君のお母さんは三分と座っていられなかったでしょう。

一歳前後の赤ちゃんならともかく、剛君は大人の言っていることを理解できるはずの年齢です。

どうして、この子は大人の言うことを「きかない」のでしょうか。

剛君が生後半年の頃、お母さんは「手のかからない、育てやすい子みたい」と言っていました。

お腹がいっぱいになればおとなしいし、話しかけると笑い返してくれて可愛い。

 

順調に発達していると言われるし、身体も丈夫そう。

家事は同居のおばあちゃんがほとんどやってくれるから、時間的にもとても楽でした。

 

授乳時間以外は、一人でちょっと出かけることもできる。

子どもと二人きりでストレスをためこんでいる母親たちからすれば、羨ましい話でしたが、この「ラク」が実は「苦痛のタネ」になっていったのでした。

生後しばらくは、「悩むようなことは何もない」と言っていたお母さんでしたが、一歳を過ぎるとどんどん大変になってきました。



 

何でもワガママが通用する環境

お父さんのいない昼間も剛君の周りには、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんの三人の大人がいて、世話をやいてきたのです。

もともと「赤ちゃんは安心させてあげなくちゃ、泣いたらすぐに応じてあげなければ」と強く思っていた剛君のお母さんでした。

忙しければ自然と赤ちゃんを待たせる場合も出てくるものですが、食事の支度もしないですむ生活ですから、いつでも要求に応えてあげられます。

 

しかも夫の両親の手前、子どもを泣かせておいてまで、他のことを続けるのは気が引けるのです。

なんでも手伝ってくれるのだし、仮に自分が行かなくても、おばあちゃんかおじいちゃんが飛んでくるでしょう。

 

最初の一年間で、三人の大人に面倒をみてもらい続けた剛君は、大人の言うことをきくどころか、大人は何でも自分の言うことをきいてくれるものだと、すっかり思い込んでしまったのです。

多くの場合、子どもが一歳になる頃から、祖父母の甘やかしは本格化してきます。

甘いものをやればうれしそうな顔をするし、よちよち歩きでなついてくる。

 

「目に入れても痛くない」とはよく言いますが、孫というのは無条件に可愛いらしく、喜ばせたい」「慕われたい」という気持ちから、ついつい甘くなってしまうのです。

年に二、三回会うだけなら、大目に見ても問題になりませんが、同居していたり、頻繁に預けたりする場合には、そうはいきません。

このお話はもう少し続きます。