「手をやく我が子」に頭を抱える
Mさんは元保育士で、赤ちゃんにも慣れていましたし、いいかげんな子育てをしているつもりはなかったのですが、長男の雅人君が二歳になった頃、子育てに行き詰まりを感じました。
外出先で必ず一度はひっくり返って大泣きするので、スーパーでの買い物すら苦痛になってきたのです。
どうしてかMさんにもわからないうちに、雅人君はワガママで扱いにくい子になってしまっていました。
特別に理由はなさそうに思うのに、あたり構わずどこでも雅人君はたびたび痛癩(かんしゃく)を起こします。
言葉がまだ出てこないので、ただただヒステリックにわめくばかりです。
雅人君の横暴ぶりに対抗するために、Mさんはまず無視してみせました。
最初は効きましたが、そのうちMさんが姿を消しても、延々とひっくり返ったまま泣き続けるようになってしまいました。
困ったMさんは、泣き始めたらすぐにお尻をぶつことにしました。
けれどもそれも初めのうちだけ、しばらくすると効果は全くありません。
すぐにちょっと叩いたぐらいでは泣き止まなくなっていったのです。
最初は、ぶつのはお尻より下と決めていたのが、そのうち自制がきかなくなり頬や頭へ。
隣の部屋に逃げる長男を追いかけて叩いたり、足で蹴ったこともあります。
雅人君は叩かれれば叩かれるほど泣き、その泣き声がいっそうMさんをいらだたせるという悪循環のなかで、Mさんは出口が見えなくなっていました。
子どもをきちんと「ひとりの人間」として扱うこと
誰のせいでもなく、癇癪持ちの子どもはいつの時代にもいます。
そんな子に当たってしまうと、母親はカッカしてしまうのですが、実はよく見ると、自分も痛癩持ちで、子どもはその性質を受け継いでいることが多いのです。
よくある話ですが、気性の強い母親の場合、親の「権威」を、子どもをしつけようとする「努力」と取り違えていることが多いのです。
親の強い態度が必ずしも権威につながるわけではありません。
かえって反発心を煽ることになりがちです。
まず、子どもをきちんと「ひとりの人間」として扱うこと。
「何か腹を立てていることがあるのかな?」と共感しようとする気持ちを示すことから始めてみるのです。
その一方で、子どもが我を張るのは、自分でも気づかないところで甘やかしてこなかったかと反省してみましょう。
例えばMさんの場合には、二歳になる前、雅人君が泣き出すと、ガマンさせて泣き止むのを待つのでなく、すぐお菓子を与えてごまかしていたのでした。
親子の仲がこじれてしまい、自分でも制御できなくなったときには、心理学を勉強するのもいい方法です。
なんとなくわかっているつもりだった親子の仲というものを、もう一度多面的に考えることができるようになるはずです。