子育てで一番難しいのは、「こうしてこうすれば、こうなる」という結果が、子どもを育てている最中にはっきり見えてこないことです。
子育てのあらゆるツケは、思春期になると回ってきます。
そのときにこそ親は、「あのとき、こう育てておいてよかった」とか、「あれが悪かったのだ」とホゾを噛んだりもするのですが、そのときはもう、どうしようもありません。
子どもはもはや自分の手のとどかないところに行っているのですから。
非行の仲間入りをして、親の手に負えなくなってしまった少年のお母さんのなかに、「幼年期には問題になることは何もなかった」と言う人のなんと多いことでしょう。
しかしよくよく聞いてみると、「問題はなかった」という場合、実は親が子どもの「やりたい放題」を許していただけにすぎない、というケースがかなり多いのです。
子どもに甘いお母さんには、自分の「言いなり子育て」の結果が見えていないために、知らず知らず子どもを甘やかしている。
それが非行少年の母親の「幼いときには何にも問題がありませんでした」という言葉につながるのです。
逆にお母さんのしつけが過度に厳しく、子どもがおとなしく従順で、お母さんは「うちの子は言うことをきくいい子」と思っていたのに、これまた思春期に突如閉じこもったり、親に暴力をふるったりするケースもないではありません。
いずれにせよ、幼いときから、親と子の自我がぶつかりあう場面は数限りなくあり、そのときに親がどういう形で子どもに向き合うかが問題なのです。
抑圧にもならず、かと言って甘やかしにもならず、毅然として子どもに向き合う。
どんなことにせよ、それぞれの家庭のルールをどう守り抜くことができるのか、それが子どもの心の土台をつくる決め手になるのです。
一番悪いのは、親が始終グラグラして、結局何ひとつ子どもの心に植えつけることができないケースです。