正しい自己主張のできる子は?

 

「うちの子は言うことをきかなくて・・・」と言うとき、お母さんたちのほとんどは、「子育てってこんなに大変なものだとは思わなかった。なんとかもう少しきき分けよくなってくれないものだろうか」と困っているものです。

その一方で、日頃子どもを可愛がってはいるけれども、しつけに直接関わることが少ない男性や、おばあちゃんたちのなかには、「子どもらしくていいじゃないか。あんまり素直だったら、かえって心配だろう」と言う人も少なくありません。

さて、普段何気なく使っている「言うことをきかない」というこの言葉、どうとらえたらよいでしょうか。

理恵ちゃんは三歳の誕生日に、プレゼントを買ってもらいにおじいちゃん、おばあちゃん、お父さんと一緒にデパートへ行きました。

人気キャラクターの英語ビデオが欲しくて行ったのですが、全五巻のうちの第二巻が欲しいと言います。

大人たちは「第一巻から買ったほうがいい」としつこく言ったのですが、絶対に第二巻だけを買うと言い張ります。

あまりにもしっかりと主張して譲らないのには、おじいちゃんたちもびっくりです。

結局、理恵ちゃんの言う通り、第二巻だけを買って帰りました。

実は、第二巻はスイミング編でした。

その頃、理恵ちゃんはスイミング教室に行きたくて行きたくて仕方ありませんでした。

そうとは知らなかったおじいちゃんとおばあちゃん、なぜ二巻目が欲しいのかわからず、理恵ちゃんの強い主張に目を丸くしていたということです。

小学校にあがった理恵ちゃんは、「計算が遅いので塾に通わせてほしい」と言い出しました。

「低学年の間は、塾に行くよりも友だちと遊びなさい」と親が反対しても、理恵ちゃんは意志が固く、現在も通い続けているそうです。

友だちとの遊びで忙しそうなので「塾はやめたら」と言うお母さんに、「ママは何でもすぐにやめるけど、私は続けるタイプなの・・・」。

理恵ちゃんの言う通り、親と子どもは違う人間なのです。

私たちは、子どものためによかれと思って、「ああしなさい」「こうしたほうがいい」と何かにつけて口出ししています。

そのとき、「子どもにはまだ判断できない」「自分の判断が正しい」と、無意識のうちに思っています。

確かに大人が子どもより適切な判断ができることは多いのですが、子どもは子どもなりの理由があって、主張していることもあります。

単に「大人に逆らいたい」ということではなくて、それなりに理由がある場合、きちんと自己主張できるのは、すばらしいことでしすね。

 

NO!」と口に出すことも必要?

純佳さんは中学二年生のとき、クラスメートのトラブルに対する担任の対応の仕方に納得できず、言葉で抗議しました。

担任教師は彼女の話を十分に聞かずに大声をあげて、クラスメイトの前で叱責をしたのです。

それ以降、彼女は学校に背を向け、さまざまな年齢の仲間たちと学んだり、アルバイトをしながら、自分の生き方を探しました。

そのような中で、何度か母親と中国を訪れるうちに、中国の文化に魅かれた純佳さんは、十七歳で単身上海に渡り中国語を勉強することになりました。

数カ月後には日本に関心を持つ中国のビジネスマンに日本語を教えることで学費を自分で稼ぎだし、勉強を続けています。

中学校の担任や校長から見れば、純佳さんのような生徒は「扱いにくい子」だったかもしれません。

素直にハイと言わず、大人の言うことにたてつくなんて、可愛げがない、生意気だという声も聞こえてきそうです。

しかし、本当に嫌なこと、納得のいかないことに対して「NO!」と言わなければ、何かをやりたいという気持ちも育ってこないものです。

言われたことをやるだけでは、生きる喜びの感じられない日々を送ることになるでしょう。

自分の気持ちを表現せずに素直な子どもとして育ち、思春期を過ぎて自立していかなければならなくなったとき、私は何のために生きてきたんだろう、と苦しい思いをする人は少なくありません。

特に、乳幼児期から親が力で言うことをきかせようとするタイプだった場合、やりたいことの見えない自分自身を受け入れられずに悩むにしろ、大人に対して強く反抗するにしろ、乗り越えて自立していくのは大変なことでしょう。

指示されたことをそのまま実行するのに慣れて何の疑問も感じない「指示待ち人間」や、納得いかないけれど愚痴を言いつつも従ってしまう「長いものには巻かれろ人間」。

どちらも私たち日本人にはよく見られますが、自分で自分の行動に責任を持って生きていくには、「NO!」と口に出すことも必要です。

理恵ちゃんも純佳さんも、自分で考え、自分で決め、自分で責任をとって自立した人生を歩む選択ができた子どもたちだったのです。