親が悪い手本になっていませんか?
けじめのない大人の生活
「先生、真理子は今日プールを見学にしてください」
「真理子ちゃん、体調が悪いのですか?」
「いえ元気ですが、今朝三時に寝たので睡眠不足ですから」と平然と答える藤田さん。
これはある保育園での朝の会話ですが、最近では藤田さんのように子どもを大人の時間に合わせて生活させる親が少なくありません。
さすがに真理子ちゃんのように3時まで子どもを起こしておく親はまれですが、11時や12時頃まで起きている子どもは決して珍しくはないのです。
幼児期は大人が意識的に寝かせる努力をしない限り、子どもはなかなか寝ないもの。
大人が好きなテレビ番組に夢中になっていて、「子どもは寝る時間よ」と口先だけで注意をしても、親の言う通りに寝るものではありません。
子どもは大人の言うことをきくのではなく、大人のやることをマネするものだからです。
子どもは親のいいことも悪いこともマネをする
2歳にもならない和希君を預かったときのことです。
公園に出掛けると、和希君はグラウンドに落ちている空き缶を拾い集めます。
空き缶で遊び出すのかとしばらく見ていると、和希君は手を引っ張り、ゴミ箱のところに私を連れていきます。
そこで「さっき集めた空き缶をここに捨ててくれ」と言わんばかりにココ~とゴミ箱を指さすのでした。
こんなに小さな和希君が他の誰かが捨てた空き缶を集めるけな気な姿に感動し、あとでその話を和希君の母親にすると、「和希がそんなことをしたんですか?」とクスッと笑いました。
実はいつもはお母さんが落ちている空き缶を見つけると必ずゴミ箱に捨てているというのです。
「こんなに小さい子どもでも、親のすることをよく見ているのですね」と和希君を温かく見つめていたお母さんの目が印象的でした。
「ほら、ゴミが落ちているから拾いなさい」と言われなくても、自然に親がやっている姿を見ていたならば、子どもはそれが当たり前になるのだなと実感させられたものです。
小さいからこそ、けじめが大切
幼稚園で先生が話を始めても一向に聞く姿勢がない剛太郎君。
大切な注意をしているというのに、横を向いて友だちとおしゃべり。
困り果てた先生がお母さんに事情を話すと、「そうですか。何度も言いきかせてはいるのですが・・・」とお母さんも困っている様子でした。
その後先生がお母さんの行動を気に掛けて見ていると、なんとお母さん自身が剛太郎君とそっくりなのにビックリしたそうです。
授業参観のときも他のお母さんとの話が忙しくて、剛太郎君の様子はチラチラ見る程度。
毎日のお迎えの際も、先生からの伝達事項は空耳状態で、相変わらず仲良しグループのお母さんと円陣を組んでのおしゃべりを楽しみ、話が終わった頃、「先生、さっき何を持ってくるようにとおっしゃいました?」というありさまなのです。
いつもそんなお母さんの様子を近くで見ている剛太郎君ですから、これでは剛太郎君に人の話を聞く態度ができないのも無理はありません。
子どもは親のやっていることをしっかり見ているものです。
まずは子どもをしつける前に、親をしつけないといけないのが現在の状況だと多くの先生はつぶやきます。
剛太郎君のお母さんに限らず我々大人は、まず自分自身がけじめのある生活を送っているかどうか謙虚に見直す姿勢が大切です。
実は子どもの問題行動は、親自身の問題であったというケースは決して少なくないからです。
親がものごとに対する善悪の判断がしつかりしていない場合にも、子どもに善悪の区別は伝わりにくいものです。
生活のなかで一つずつ、これはやってもよいことなのか、いけないことなのかを子どもに知らせることが大切です。
特に人間として絶対にしてはいけないことについては、毅然とした態度で子どもに教えなくてはなりません。
汚いコトバで人をののしったり、いきなり後ろから他の子の頭を叩いたり、人の姿形の欠点を面白がって口にしたりすることを、「まだ小さいんだから」と大目に見てはいけません。
どんな理由があろうとも絶対にダメなことはダメなのです。
子どもが小さくても、そういうことを許してはダメなのです。